古地図古文書●宝暦11年 下総国絵図 4色木版画 販売済み 230501

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国絵図は、江戸幕府の命で、慶長・正保・元禄・天保の4回、全国規模で国ごとの絵図等が作成されました。
これは宝暦ですので元禄からそして天保と比較してどうだったのか比較するには良い絵図面だと思います。石高は元禄期と同じです。作成された目的は不明ですが、10代将軍徳川 家治による巡見使派遣に伴って作成されたものかも知れません。
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てれば大変嬉しいです。
サイズは135×127㎝です。写真にあるスケールは全長17㎝です。状態は経年によるシミヤケと若干の虫食いがあります。ベロと言われる飛び出した部分は和紙の接合部に剥がれがあります。発送は追跡可能なクリックポストかゆうパック60サイズを予定しています。東北関東東海信越北陸地区の場合870円です。
下総国とは現在の千葉県北部と茨城県西部を主たる領域とする旧国名。北で常陸国と下野国、西で上野国と武蔵国、南で上総国、内海を挟んで相模国と接する。『古語拾遺』によると、よき麻の生いたる土地というところより国(ふさのくに・総国)と称したとされる総国の北部にあたり、総国の分割によって建てられたとも言われている。古くは「之毛豆不佐(しもつふさ)」と呼び、これが「しもふさ」「しもうさ」に転じたという。この下総国のほかにも、国の名前に「上」「下」や「前」「後」と付くものがいくつかあるが、いずれも都(近代以前の概念では畿内)に近いほうが「上」「前」と考えられている[1]。上総国と下総国の場合、西国からの移住や開拓が黒潮にのって外房側からはじまり、そのため房総半島の南東側が都に近い上総となり、北西側が下総となった[2]。また、毛野から分かれた上野・下野と同じく、「上」「下」を冠する形式をとることから、上総・下総の分割を6世紀中葉とみる説もある[3]。出典:ウィキペディア

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